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狂牛病が問ういのちと食べ物


危険な肉骨粉を延々と輸入しつづけた日本

狂牛病発生国となった日本。またしても、この国の政府は国民を守る事に対しては真剣ではないのだと思わされました。

1988年、英国が狂牛病の原因は肉骨粉であるとして牛に禁止した以降も、狂牛病が蔓延する英国から肉骨粉を輸入し続け、それは英国が輸出禁止する1996年まで続いたのです。(英国も犯罪者です)

そして、その1996年以降も、日本は世界中から肉骨粉を輸入し続けたのです。しかもそれらの国々のうち香港、台湾、韓国などは、1996年まで英国の肉骨粉を輸入していた国々でした。

イタリアからは1994年に狂牛病が発生した(2001年現在33頭)後も、大量の肉骨粉をずっと輸入し続けてきました。

やがて汚染した肉骨粉を食べて感染した牛が目視検査をすり抜け、肉となり肉骨粉となってさらに汚染を広げていくのです。

病死牛16万頭の行方は……?

年間、病死する牛は16万頭もいるそうです。

と畜場には行かずに処分されて肉骨粉になっていたこれらの牛こそ厳重に検査し、分離すべきではなかったのでしょうか。

肉骨粉の全面禁止が発令されたのは10月4日でした。政府責任者の不作為の罪はあまりにも大きいのです。10月18日からは、全頭検査体制となりましたが、これまでに疑いのある牛を私達はすでにどれほど食べてしまっていることでしょう。

もはや、潜伏期間を経て人が発症する事態を覚悟しなければなりません。

自然とはかけ離れた畜産の実態

この災禍は、これまでの生産性追及の畜産がもたらしたツケなのです。

そもそも生き物の生理では、冬に脂肪が厚くなり、夏には落ちるのが自然です。

しかし、乳業メーカーからは牧草飼育では困難な、一年中3.5とか3.8の高い乳脂肪率を要求されるため、肉骨粉入りの濃厚飼料が必要となったのです。

また、国際競争にさらされた安い乳価では生産性を高めるしかなく、高泌乳量が追い求められていったのです。

大量の乳を搾り取るために肉骨粉などが与えられた

かつて牧草を食べていた頃は、一産あたり4000klほどの乳量だったのが、穀物や肉骨粉入りの濃厚飼料を与えて7000kl、10000klまで搾り取るようになりました。

酷使された牛は2〜3産しただけでぼろぼろとなり、と畜場行きとなります。

これからは、畜産の本来あるべき姿を考えなければならない

効率的生産を追求して食性を無視し、肉骨粉という共食いをさせ、多種多用の薬漬けにし、自由を奪い、改造し続けてきた近代畜産のあり方は間違いであったといえるでしょう。

家畜は単なる農産物ではなく、感受性のある生命存在なのですから。

行政は、欧州で広がる有機畜産への転向支援、飼育減頭助成や食品安全庁創設に学ぶべきです。そして私達は、畜産物の多食を、今こそ見直す時だと思います。

(2001/12/1)

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