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2011年12月

食品に含まれる放射性物質の新たな基準値について
厚生労働省は、一般食品は現在の暫定基準値の5分の1に当たる、1キログラム当たり100ベクレル、乳児用の食品と牛乳は50ベクレルなどとする方針を発表。厚労省によると、世界保健機関(WHO)の基準を踏まえ、年間被曝許容上限1ミリシーベルトのうち0・1ミリシーベルトを「飲料水」に振り分け、1キロ当たり10ベクレルと設定。その上で食品中の放射性セシウムによる年間被曝を残る0・9ミリシーベルト以内に抑えられるよう、平均食品摂取量などを考慮し、「一般食品」はセシウムで100ベクレルとした。「乳児用食品」と「牛乳」はセシウムで50ベクレルとした。

5分の1になったから、よかったと思う向きが多いかもしれない。しかし、暫定基準を正式の基準に改め、今後長く運用される基準としてみると、国民の内部被ばくを許容する政府の姿勢が見て取れるのだ。

ICRPの勧告をもとに、日本では、法律で定めた公衆の年間被曝限度は外部被ばく、内部被ばく合わせて1mSv(自然放射線被ばくと医療被曝を除く)となっている。

暫定基準値はこれを大幅に上げて設定された。内部被曝だけで17mSvを許容し、これを4つの核種グループに割り振り、セシウムは5mSvとした。5つの食品ジャンルに1mSvづつ割り当て導き出したのが500Bq/kgの基準だ。暫定基準は通常の食品安全基準とは異なり、安全を担保するものではない。非常時のがまん値なのだ。

今回それを5分の1の100ベクレルに引き下げるというが、依然高すぎる。この規制値で出回る食品を国民が今後ずっと食べ続けるなら、内部被ばくによって計り知れない数の健康被害を生み続けるだろう。

放射線にはこれ以下なら安全という閾値は存在しない。閾値の定められない汚染物は食品に残留してはならないのが食品衛生法の原則だ。非常時の暫定から通常規制にもどすのだから、国民の内部被ばくを防ぐ基準にならなければおかしい。

飲料水はWHO基準の10ベクレル採用というが、WHOは放射能関係の基準策定においては、IAEAの了解を得なければならない協定が結ばれており、そのためWHOの基準は推進の立場にたっていると批判されている。飲料水はアメリカの0.111やドイツの0.5のように、コンマ以下でなければいけないだろう。

ドイツ放射線防護協会は内部被ばくは年間0.3ミリシーベルト以下としている。そして、日本政府に対し、乳児、子ども、青少年に対しては4ベクレル/kg以上のセシウム137を含む飲食物を与えないように、成人は8ベクレル/kg以上のセシウム137を含む飲食物を摂取しないことを推奨している。

日本の高い数値設定には希釈率0.5を採用していることがある。汚染された食品だけを口にするわけではないとし、汚染されていない食品を食べることで汚染が薄まる「希釈」を考慮しているのだ。この希釈政策を停止するよう、ドイツ放射線防護協会は11月27日に緊急勧告を発している。放射線防護においては、汚染されたものを汚染されていないものと混ぜて希釈し通用させることを禁止する国際的合意がある。日本の瓦礫処理や食品基準はこれに接触すると指摘。

チェルノブイリ以降、わかってきたのは幼いものたちがこれまで考えられていた以上に感受性が高く低い線量で影響を受けていることだ。

このことを考慮して乳児用食品は大人の半分の50ベクレルにしたと厚労省は説明しているが、先の明治の粉ミルク「ステップ」で判明した30.8ベクレルくらいの汚染があっても今後ずっと許容されることになる。ミルクは薄めて飲むからというが、小さな体にそれだけを飲むのだし、体内被ばくは避けられない。乳児用食品は限りなくゼロに近い基準であるべきだ。日本では汚染されていない原料の入手は可能なのだから。

基準値が緩いと、汚染の低いものと混ぜることで基準を容易にクリアーできてしまう。厳しい基準ではそれが困難になる。なによりも放射性物質について、希釈すれば安全という誤った認識は払拭されなければならない。そして内部被ばくを容認するような基準は改めさせねばなりません。
2011年12月22日更新
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ふくしま集団疎開裁判「却下」の不当判決! 「12.24ふくしま集団疎開裁判緊急報告会」に参加しよう!
【速報】ふくしま集団疎開裁判 決定は「却下」
ふくしま集団疎開裁判は16日、福島地裁郡山支部(清水響裁判長)により「却下」されました。

ふくしま集団疎開裁判弁護団長・柳原敏夫氏の感想と解説
http://fukusima-sokai.blogspot.com/
「ふくしま集団疎開裁判の会」ブログより

本日12月16日、福島地方裁判所郡山支部で仮処分申立に対する決定が出されました。
→裁判所の決定(2頁に「判断の理由の要約」13頁末行から最後までが判断の理由のポイント)

以下その解説を述べるにあたって、一言、弁護団長(柳原敏夫)の感想を述べさせていただきたい。
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 「子どもを粗末にするような国は滅びる、そのような国には未来はない」これが真実であることの確認を求め、混乱と異常事態に陥っている国政の是正を「人権の最後の砦」を本来の任務とする裁判所に求めたのが疎開裁判です。

 しかし、本日、裁判所は自らその任務を放棄することを宣言しました。福島第一原発に劣らず、我が国の三権も首をそろえて混乱と異常事態に陥っていることを余すところなく証明しました。それが本日の決定の唯一の意義です。

 これに対しては、私たちは2世紀以上前のアメリカ独立革命の人権宣言の初心に返って、「子どもを粗末にするような国は廃炉にするしかない。未来は子どもを大切にする国作りの中にしかない」ことを宣言する。

 「政府は人民、国家または社会の利益、保護および安全のために樹立される。いかなる政府も、これらの目的に反するか、または不十分であると認められた場合には、社会の多数の者は、その政府を改良し、変改し、または廃止する権利、いわゆる革命権を有する。この権利は、疑う余地のない、人に譲ることのできない、また棄てることもできないものである。」(米国ヴァージニア憲法3条)
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 結論となる主文は「本件申立を却下する」というものです。

 決定中には「判断理由の要約」として、以下が記載されています。
「放射線による影響を受けやすい児童生徒を集団で避難させることは、政策的見地からみれば、選択肢の一つとなり得るものである。しかし、債務者には、郡山市に居住する他の児童生徒が存在する限り、教育活動を実施する義務があり、教育活動の性質上、債権者らに対する教育活動のみを他の児童生徒に対する教育活動と区別して差し止めることは困難である。債権者らの申立の趣旨は、事実上、債権者らが通学する小中学校の他の児童生徒に対する教育活動をも含め当該小中学校における教育活動の実施をすべて差し止めること等を求めるものと認められるから、その被保全権利の要件は厳格に解する必要がある。しかるに、債務者による除染活動が進められていることや放射線モニタリングの結果などを考慮すると、現時点において、警戒区域でも計画的避難区域でもない郡山市に居住し債権者らと同じ小中学校に通学する他の児童生徒の意向を問うことなく、一律に当該小中学校における教育活動の実施の差止めをしなければならないほど債権者らの生命身体に対する具体的に切迫した危険性があるとは認められない。また、債権者らに対する損害を避けるためには、債権者らが求めている差止め等が唯一の手段ではなく、区域外通学等の代替手段もある。したがって、本件申立てについては、被保全権利が認められない。」

2 今回の決定の骨子は次のようなものです。
(1) 債権者らは、債権者らを避難させることを求めているが、実質的には、各学校における他の児童生徒の教育活動の差止めを求めているから、その被保全権利の要件は厳格に解する必要がある。
(2) 現時点で、他の児童生徒の意向を問うことなく、一律に各小中学校の教育活動の実施の差止めをしなければいけないほど、債権者らの生命身体に対する切迫した危険性があるとは認められない。その理由は、(1) 空間線量が落ち着いてきている、(2) 除染作業によって更に放射線量が減少することが見込まれる、(3) 100ミリシーベルト未満の低線量被曝の晩発性障害の発生確率について実証的な裏付けがない、C文科省通知では年間20ミリシーベルトが暫定的な目安とされた、D区域外通学等の代替手段もあること、等である。

3 裁判所は、まず、被保全権利がないこと、すなわち、子供たちに切迫した健康被害の危険がないことを理由に、申立を却下しようと考えたのだと思います。しかし、その点だけでは決定理由を書けなかった。そこで、他の子供達についても避難させようとしているなどということを持ちだして、「被保全権利の要件を厳重に解する必要がある」などということを言い出したのです。確かに、私たちは、14人の子どもの避難だけではなく、他の子供達の避難も実現したいと思っていました。しかし、それは、裁判所の決定が出た後の行政交渉で実現できることであって、司法で実現できることではないし、司法判断の対象になるものではないと位置づけていました。個人の権利救済を目的とする民事訴訟手続においては、それは当然のことです。審理の対象は、申立人の子供たちの健康被害を避けるために、申立人の子供たちを避難させる必要があるかどうかだけなのです。他の子供達に対する事実上の影響の問題を司法判断に持ち込み、厳しい要件を課したのは、民事訴訟の原則に違反するものであると考えます。

4 100ミリシーベルト以下での低線量被曝のリスクが証明されたとはされていないことや文科省の20ミリシーベルトの判断を理由に子どもの健康のリスクを否定した内容は、結局、行政の判断に追随しているだけであり、司法の役割を全く果たしていないというしかありません。チェルノブイリでの避難基準との比較、ベラルーシやウクライナの子供たちの現状、福島の明日は今のベラルーシやウクライナであること、多くの子供達が被害を受ける危険があることを、裁判所はどう考えたのでしょうか。科学的な証明のためには膨大なデータの収集が必要であり、そのためには長い時間がかかります。児玉龍彦東大教授が言っておられるように、科学的に証明できてから対策をとっても遅いのです。ことは子供たちの生命、健康の問題です。予防原則が徹底されなければなりません。我が国の政府は、国民に対し、年間20ミリシーベルトまでの被曝をさせる意思です。ウクライナやベラルーシでは、年間5ミリシーベルトを超える地域は強制避難地域とされました。それでも大変な健康被害が生じています。我が国における子供たちの保護が、旧ソ連の各国よりもはるかに劣っていること、そのことを我が国の司法すら安易に追認することに驚きを禁じえません。

5 司法の仕事は、苦しみの中で救済を求めている市民を救うことであって、市民を苦しめる行政の行為にお墨付きを与えることではありません。

 今回の裁判所の決定に対し、私たちは十分に検討の上、今後の道を探りたいと考えます。

福島地方裁判所郡山支部による仮処分申立に対する決定文(pdfファイル)
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感想(1)
2011年12月19日
柳原敏夫

今回の判決(決定)は、次の通り、民事裁判の基本原則を踏みにじったものです。通常ではこのようなことはありません。

なぜそのようなことが起きたのでしょうか。それはこのよう重大な違反をしない限り子どもたちの申立てを斥けることが不可能だったからです。その意味で、これはなりふり構わず、子どもたちの命を切捨て、彼等の人権を蹂躙した、永遠に弾劾されるべき判決です。

1、「申立てざる事項につき判決なし」の原則違反

もともと民事裁判は市民の権利を保護するための制度ですので、民事裁判を利用するにあたって、裁判を起こすかどうか(訴訟の開始)、起こしたとき、どういう内容の裁判を起こすか(訴訟の範囲)、起こした裁判を終了するかどうか(訴訟の終了)については、裁判所ではなく、当事者にそれを決める権限を与えています。

その結果、当事者が裁判を申し立てない事項について、裁判所が判決をすることは許されません。これは民事裁判の基本原則です(処分権主義)。

近代の裁判制度は、当事者は争点について裁判の審理の中で自らの言い分とその裏付けを提出してそれを踏まえて裁判所に判断してもらうという原則を取っています。従って、もし裁判所が当事者が申立てをしていない事項についていきなり判決を下したら、それは当事者は言い分を主張する機会を何も与えられないままいきなり判断が下されること、つまり「不意打ちの裁判」が行われることを意味しますから、憲法で保障された「裁判を受ける権利」(=市民の権利を保護するための権利)を当事者から奪うことになるので、許されないのです。こんなことは誰でもすぐ分かるコモン・センスです。

しかし、16日の判決ではこの点で異常事態が発生したのです。なぜなら、私たちの申立てはあくまでも「14名の子どもたちの避難」であるのに対し、裁判所はこれを「郡山市の全ての小中学生(しかも彼らには疎開するしないの選択の自由が与えられず、一律に強制的な)の避難」であると申立ての内容をすり替えてしまい、その上で、そのような申立ては認めれられないと判断したからです。

疎開裁判は過去に前例のない裁判なので、当初、私たちは形式的な理由で門前払いされることを最も危惧しましたが、いざふたを開けたら、求めてもいない別の申立てを無理矢理作り上げられて、その挙句に却下されるという、門前払いではなくて門前ちがいの目に遭いました。

それは刑事裁判になぞらえれば,Aという人の犯罪を裁く裁判で、裁判所が勝手にBという別の人の犯罪を裁く裁判だとすり替えて判決を下すようなものです。しかも、7月の審理の中で私たちは「郡山市の全ての小中学生の避難」を求める裁判ではないことを裁判所にきっぱりと申し上げました。

裁判所は目の前で聞いていたにもかかわらず私たちの申立てを無視して、別の申立てに仕立てあげてしまったのです。これは民事の冤罪裁判であり、重大な誤判というほかありません。

2、証拠裁判主義の原則違反

判決の理由となる事実の認定は証拠によらなければなりません。かつて、証拠によらず恣意的な裁判がまかり通っていた暗黒裁判に対する反省から近代の裁判制度の大原則とされたものです(証拠裁判主義)。従って、裁判所は証拠に基づかないで事実を認定することは許されません。

そして、民事の裁判で事実認定の基礎になる証拠とは当事者が自分たちの言い分を裏付けるために提出された証拠資料のことです。従って、裁判所は裁判に提出された証拠資料に基づいてのみ判決の理由となる事実を認定しなくてはならず、それ以外の資料に基づいて事実認定することは許さません。

もし当事者が裁判に提出された証拠資料以外の資料に基づいて裁判所が勝手に事実を認定したら、当事者はその資料について何も批判・反論する機会も与えられないままいきなり判決の理由となる事実が認定されることになり、つまりこれも一種の「不意打ちの裁判」が行われることを意味し、憲法で保障された「裁判を受ける権利」を当事者から奪うことになるので、許されないのです。これもまた見え透いたコモン・センスです。

しかし、16日の判決ではこの点でも異常事態が発生しました。私たちは学校設置者の郡山市に子どもたちを避難させる義務が発生するのは「空間線量が年間1mSvを超えたとき」だと主張したのに対し、裁判所は「100ミリシーベルト未満の放射線量を受けた場合の癌などの晩発性障害の発生確率に対する影響については,実証的に確認されていない」(以下、本件事実といいます)と事実認定し、だから「空間線量が年間100mSv以下のとき」には郡山市に子どもたちを避難させる義務は発生しないとしました。

しかし、裁判所の判断を左右するこの決定的な事実となる本件事実について、申立人はもちろんのこと相手方の郡山市も裏付けとなる証拠を全く出していません。

このような最重要で大論争になる事実について、裁判所は全く証拠調べもせずに、いきなり判決の中で認定しているのです。私どもの開いた口がふさがらなかったのは当然です。

これに対し、裁判所はきっと「それは民訴法179条の顕著な事実だから、証明を要しない」と釈明するのでしょう。しかし、証拠裁判主義の例外である「顕著な事実」とは「裁判官が明確に知り、少しも疑念をさしはさまない程度に認識する事実」(三ケ月章「民事訴訟法」433頁)のことで、その具体例とは「歴史上有名な事件、天災、大事故、恐慌等」(同上。新堂幸司「民事訴訟法」473頁)のことです。

本裁判で、申立人は、「空間線量が年間100mSv以下のとき」でも、重大な晩発性障害の発生が予測されることをチュルノブイリ事故との対比の中で実証的に確認できると、その裏付となる証拠をいくつも提出しました(矢ヶ崎意見書〔甲49〕・松井意見書〔甲72〕甲64の論文など)。

いやしくもそれらの証拠資料を一度でも目を通した者なら、本件事実について、その後も「少しも疑念をさしはさまない程度に認識」を維持することは到底不可能です。最低でも、判決の行方を左右する最重要な事実を果して証拠調べもせずに認定してよいかどうか証明すべきです(公知であることの証明)。

裁判所は、証拠資料である矢ヶ崎意見書・松井意見書などを読んでいながら、この最低限度の証明すらせずに判決でいきなり本件事実を認定したのは、申立人からみれば、判決の行方を左右する最重要な事実について一度も主張・立証する機会も与えられずに、申立人の申立てを斥けられたものであり、「不意打ちの裁判」によって、憲法で保障された「裁判を受ける権利」を奪われたというほかありません。これでは近代以前の中世の暗黒裁判に逆戻りしたのも同然です。

この中世の暗黒裁判によって誰が最も被害を蒙るかは言うまでもありません。次の魯迅の言葉を引用するまでもなく、命を尊ぶことをやめない限り、私たちはこの判決が破棄されるまで永遠に弾劾し続けるでしょう。

「いかなる暗黒が思想の流れをせきとめようとも、いかなる悲惨が社会に襲いかかろうとも、いかなる罪悪が人道をけがそうとも、完全を求めてやまない人類の潜在力は、それらの障害物を踏みこえて前進せずにはいない」魯迅「随感録」の生命の道(竹内好訳・ちくま文庫「魯迅文集3」)

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「12.24ふくしま集団疎開裁判緊急報告会」
【報 告】ふくしま集団疎開裁判弁護団長 柳原敏夫氏
【日 時】12月24日(土)開場18:00 開演18:30〜21:00
【場 所】スペースたんぽぽ(たんぽぽ舎入居のビルの4階)
【資料代】500円
2011年12月19日更新
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