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2007年10月

ライス・ショック
 米をめぐる状況は国家国民全員にかかわる最優先の切迫した安全保障の問題であると本誌で一貫して主張してきました。ここにきてようやくマスコミがこの問題を取り上げるようになりました。先日のNHK番組「ライス・ショック」をご覧になりましたか。

 WTOやFTA交渉で関税引き下げが数年内に実現するのを見越して、米国、中国などが日本への米輸出を睨み、日本の品種コシヒカリ、アキタコマチなどを生産し、味、品質とも国産米と遜色のない米を日本の10分の1、3分の1の価格で輸出できる体制ができつつあります。一方日本の米作農家は米価の暴落に見舞われ、生産コスト割れで、もうやっていけないという状況です。特に高齢化と過疎化の進む中山間地の棚田から耕作放棄され水田がどんどん消えています。放棄されるとその先には水がいかなくなるため、その水に拠っていた水田はみなダメになります。

 今年4月から始まった農政の新たな政策(品目横断的経営安定対策)ではすべての農家を対象に個々の作物毎にあった支援策を止め、一定の規模以上の認定農家(または集落営農組織)にのみ補助金などの支援を限定することになりました。

 WTO体制下、輸入農産物に対抗するためといいますが、米の値段が日本でキロ500円の品質のものが、米国産は300円、中国産は60円です。どこまで大規模化すればこれらと対抗できるようになるというのでしょうか。1農家当たりの農地面積がオーストラリアは日本の1800倍、米国は150倍です。賃金では中国やタイなどは日本の10分の1以下です。その実現可能な数字を示すこともなく、ただ4ha以上の農家にだけ支援するという政策は実は農家の65%を占めるそれ以下の中小農家を切り捨てるのがほんとうの目的ではないかと思います。

 やっとの思いで集落営農にこぎつけた所も大型機械の購入費、圃場整備費などの経費をまかなわなければならないのに米価の急激な低落によって借金のみが残るという悲惨さです。消費が減るばかりの米余りで価格が下がっているのにさらに政府が備蓄米を安く放出したりでますます売れないという状況です。

 この亡国の道まっしぐらの農政改悪の影で糸引く財界の意向は日本農家をつぶすのが本当の目的でしょう。企業が農地を自由に使えるようにし、そこでの農業労働者は途上国から入れる、米など食料は安い輸入品に依存すれば賃金も押さえられるし、WTOルール下で工業製品をがんがん輸出し続けることができるというわけです。

 足腰の強い経営農家にする、そのための大規模化という言い方がまかり通っていますが、これは農業潰しの手でしょう。規模拡大した農家への補助金は数年で減額して締め上げていくことが財界(p5「農地法」日本経済調査協議会の提言 参照)の意向です。目くらましのペテンの論理に惑わされてはならないのです。

 そもそも農業は工業のように大量生産、規格化、効率化はなじまない、工業製品とは違う自然の理(ことわり)が中心にある生命産業なのです。大規模単一作物生産が効率的な経営として奨励されていますが、気象変動の激しい地球環境のなかでもろに影響を受けるでしょう。多品目生産なら作物の出来不出来や価格暴落などのリスク分散ができるし、田畑の分散も水害などのリスク分散を考えた祖先の知恵だと思います。

 ここまで来てしまった風前の灯の日本の食料基盤、水田を回復する道はあるでしょうか。主食が自給できるという恵まれた環境を次の世代に引き継いでいけるかどうか(また独立民主国家として自立していけるかどうか)は、すべては消費者の「選択」(買い物行動)と「食べ方」にかかっています。それは学校給食においても同様で全部米飯にすべきです。つまり簡単にいえば、「ごはんを食べよう」に尽きます。

 また、福祉切り捨てによって日本はいまや餓死者を出す始末です。電気、ガス、水道は生存保証量までは無料とし、栄養粗悪な加工食品に拠らず、米を炊いて食べることができるように福祉の現場で食の知恵や指導が必要ではないでしょうか。米国でもファーストフード利用は貧困家庭が多いと報道されています。これも考えるべきところではないでしょうか。(いのちの講座48号 2007年10月25日発行 巻頭言より)
2007年10月30日更新
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